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2011年3月20日 (日)

浦安は被災地です(1)

3月11日の震災が起き、バタバタと過ごしているうちになんだか無気力になりそうな今日この頃ですが、記憶が薄れて行く前に記録しておこうと思いました。

私が被災したのは横浜のYC&ACというソーシャルクラブでした。ここは外国人のメンバーシップを中心としたスポーツ系のクラブです。ここで我が社の製造業系セールスメンバー約50名によるオフサイトミーティングを行っていたのです。
午後の部が始まり、経営品質のワークショップで我々はリッツカールトン大阪のビデオを見て休憩に入ったところでした。ゆったりとした、しかし強い揺れの幅がどんどん大きくなり、たまらず外に飛び出しました。

揺れはなかなかおさまらず、結局2時間ほど外にいたのですが、寒いので大きく外に向かって開け放たれているバーに避難しました。バーでは大きなテレビが2台あり、震災の様子が映し出されていました。その映像を見ながらため息やら、危ない危ない!という声。あまりの悲惨な映像に息をのむ人。もう何もできずに呆然と座っていました。

リーダーシップメンバーが集まり協議をしました。基本的にこの場で朝まで待避すること。男女別な部屋分けをすること。車で買い出しに出て、最低限必要な物資をそろえる事。

このオフサイトではディナーパーティーも予定されており、幸いな事に水もガスも影響がなく、調理が可能とのことで静かに会食を行いました。

Hisai201101

写真では「地震なってあったのか?」と思われるほど落ち着いていますが、実際は携帯で家族と連絡をとったり、テレビに釘付けになったり、所在無さげにボーッとしたり。

うちの娘(大学生)は通学途中の地下鉄で被災してなかなか連絡が取れません。メールを送ると遅れはするものの届くようでした。妻の実家からさほど遠くないようで、義父が車で迎えに行ってくれたのです。しかしたかだか20キロほどの距離なのに5時間もかかったらしいです。

公衆電話が無料になり、自宅には電話が出来ました。つながって開口一番息子が「家が傾いた」と言うではありませんか。幸い生活に支障がない程度らしいのですが、びっくりしました。

さて、この施設ではバーもレストランもあるのですが、残念ながら宿泊施設はありません。しかし外国人向けクラブとしてプールバーがあったり、ビデオ鑑賞のライブラリーがあったり、体育館があったりして待避するには申し分ない設備です。
アルコールも出ていたのですが、何が起こるか分からないので私は飲みませんでした。

ひたすらTwitterとFacebookで情報を集めます。

夜の11時ごろに電車が動き出したとの情報が入ります。駅は横浜からいくつか先に行った山手です。JRは早々とその日の稼働はない、とHPにアナウンスされていたのですが、地下鉄や私鉄は動き出したのです。そこでなんとか浦安(地下鉄)まで行けないかと探ったのですが、これか可能なようでした。しかし、どの電車も「いつまで動くのか」については言及していません。東急を使って渋谷までは行ける、そこから地下鉄で帰れる、という事は理解しても、途中で止まったら駅で朝まで過ごす、というリスクはおかせません。

しかし午前1時を回った頃に、終夜運行との情報がHPに流れます。同じ浦安の住民を誘ったところ、彼はボーイスカウトのリーダーなのですが、早々と寝袋で寝てしまいました。そこで一人で帰る事を決意。

地下鉄に乗って横浜に出て、ゆっくりと走る東急で渋谷に着くまでに1時間半はかかりました。そこから銀座線に乗り換えたのが午前3時半頃。
日本橋に着いて東西線に乗り換えるためにホームに着いたのですが、列車本数が少なく30〜40分ほど待ちました。

そしてようやく東西線がやってきました。この時間にして通勤ラッシュなみの混雑です。奥にいた人は駅で降りる事ができない状態になりながら、浦安ではなんとか列車から脱出。午前4時です。

駅ではタクシーの長い列。およそ3キロですが、歩き始めました。

「なんだ、たいした事ないなぁ」と思いながらずんずんと歩きます。途中コンビにで水を調達。また24時間オープンのマルエツではお茶を調達。この時点では食材は豊富でなんら問題がなさそうでした。

私と反対方向、つまり浦安駅に向かって若い人たちが延々と列を作って歩いています。これはどうもディズニーランドで被災した人たちが、私とは反対方向(私の家がディズニーランド方向)に歩いているようでした。皆一様に疲れ果て、ふらふらと歩いています。

そして小一時間も歩いたところ、ようやく我が家の地域に到着。そしてこれまでの認識が吹っ飛んだのです。

ようやく白々と日があけ始め、液状化でドロドロになった土地が目に入りました。

住宅地に入るとさらにひどい状態です。門柱がたおれていたり、駐車場が泥で埋まって車のタイヤが見えないぐらい。

自宅に着いたのは午前5時半。なんとかベッドに入り込んだのもつかの間、家の電話が鳴りました。娘の高校時代の同級生がディズニーランドで被災して、近くの体育館に待避しているとのこと。6時過ぎに彼女達を迎えに車で舞浜運動公園に行きました。

そこでは更にひどい状況を目にする事となりました。電柱は傾き、バス停の屋根は倒れかかり、泥が吹き出した道路はぼこぼこ。なんとか彼女達と出会い、自宅に連れ帰りました。

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