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2010年3月 2日 (火)

ほろ苦デビュー「東京マラソン2010」その2

品川を折り返すと少し気持ちに余裕が出てきた。周りの景色を見ながら、応援の人たちの声を聞きながら、快適に走ることが出来た。しかし迫り来る不安が芽生え始めたのもこのあたりだ。左足の膝に、忘れていた痛みの兆候が現れたのだ。

初めてハーフを走ったときに出た膝の痛み。膝の前の外側に出る。これはトレーニングが足らず、また太ももの前の筋力が充分でないために起こる痛みらしい。トレーナーの田中さんと相談をして、距離を伸ばすだけでなく、ジムでの筋トレを続けること、そして足を大きく踏み出さない走り方をすることでこの痛みを消してきた。事実、年明けからのハーフの大会では一度もこの痛みは出なかった。兆候すらなかった。筋トレは3日は休まず、足が動かなくなるまで続けた。絶対に筋肉量は増えているはずだった。

しかしこの兆候は15キロ過ぎで起こった。想定外だ。この痛みは本当につらい。ズキズキと脳天に響く痛みなのだ。そして日比谷通りを走っているとついにやってきた。過去のハーフではスパートをしてもなんともなかった痛みに、たった17キロあたりで見舞われてしまったのだ。これまで「もう14キロ?3分の1が終わってしまった。もっと楽しみたい」と思っていた自分が「残りまだ20キロ以上もある」と感じ始める変化はここからすでに起きたしまったのだ。
これはネガティブな考えで、マラソンの本を読むとこう考えたら負け、らしい。

そして20キロ地点。35分53秒。グロスもほぼ同じ。今のところ予定通りキロ7分程度で走っていることになる。

しかしここで救う神も現れた。iPodで突然スピッツの「チェリー」が流れ始めたのだ。この歌は中学校のPTA会長をやっていたときに、合唱祭でPTAが歌った曲だ。小さな声で歌いながら自然と足が前に出るようになる。元気が回復した。

Run013

そして日比谷を右折して数寄屋橋にさしかかる。ここでハーフポイントだった。

銀座は東京の中で私が最も好きな場所だ。その入り口である数寄屋橋は、有楽町からさしかかると期待に胸がふくらむ、そんな場所だ。そしてまた「ああ、東京を走っているんだ」という感激に包まれる。ここから約1キロは銀座の中心街を駆け抜けるのだ。迷わず雨合羽を脱ぎ、ボランティアのおじさんに捨ててもらう。ここからが本番だ!

銀座四丁目の交差点に到達。気持ちはドンドン盛り上がる。たしか応援に来てくれている同僚達は銀座のアップルストアで待っている、と言われていた。沿道を見ながら走る。

Run014

そこで同僚達には無事会うことが出来た。銀座でアドレナリンも出ていたし、元気な写真を撮ってもらった。しかしこれが最後の「元気な写真」となってしまった。

夢のような銀座のど真ん中、はあっという間に過ぎ去った。京橋、日本橋と銀座のような大観衆から少しずつ沿道の応援は減ってくる。しかしそれでもたくさんの応援であることには違いない。そんな応援を背中に受けて、すでに自分では未知の世界に突入していたのだ。これまでハーフマラソンが最大の距離。予定では30キロまでゆったりとしたペースで進み、残りをスパートするのだ。だが、膝の痛みはじわじわと体にインパクトを与えている。すでに沿道の応援の声も頭には届かない。音楽を聞きながら、なるべく何も考えず、2,3メートル先をじっと見ながら一歩一歩踏んでいく。そうすれば25キロが来て、30キロが来て、35キロが来て42キロが来るはずだ。なんてことはない。このまま踏み続ければいいのだ、と言い聞かせる。

買い物やウィンドショッピングで大好きな高島屋日本橋店や本を眺めたら時間を忘れる丸善日本橋店も通ったはずだけど、全く記憶にない。ただひたすら前に進むことだけだった。左膝の痛みはドンドン増してきて、そのうち腿や足の付け根までじわじわとやってきた。幸い右足はなんともない。

沖縄の名護ハーフ(2週間前)では右足ばかりに疲れが残った。そのため、自然と左足に力を入れていたのか。「歩き組」を抜き去るためにサイドステップを踏んで負荷がかかったのか、知るよしもないがとにかく左足は機能していない。

いつの間にか茅場町を抜けて25キロ地点が迫っていた。頭の中で巡り始めたのは「サロメチールを塗れば直るかも」という考えだった。25キロを踏んだらトイレを探して痛いところにサロメチールを塗ろう。そうすれば絶対に回復する。

25キロ地点の5キロラップは39分04秒。グロスも全く同じ。完全にペースダウンだ。5キロ毎にパワージェルを飲み、アミノバリューを飲んだ。これは低血糖対策だ。1年前にハーフマラソンでの失敗。21キロを走りきると立ち上がれなくなった。全く理由はわからなかったが、医者に相談すると「間違いなく低血糖。飴をなめながら走ると大丈夫」と言われて研究をしたら、市民ランナーの常識だった。今回は10キロでひとつ、あと5キロ毎にひとつ。合計6つを持って走った。このパワージェル、多くの人が使うらしいのだが、残念なことがあった。マラソンコースにたくさん食べ終わった袋が捨ててあるのだ。10メートルおきにひとつは必ずみつかった。それは踏みつけられ、汚れ、でも最後はボランティアの方々が道路から引っぺがしてゴミとして捨てるのだ。ジェルはねっとりとしており、これが手に付くと容易には取れない。それを平然と道路に捨てていく。そんな人はランナー失格だ!

さて25キロでジェルを摂取したら次はトイレ探しだ。別に尿意はない。あるのはサロメチールへの思いだけ。1つめのトイレは凄く並んでいた。「そうだ、今度はセブンイレブンにしよう」と思いついた。「トイレ」と掲げてないので空いているだろう。それに吹きさらしでもない。素晴らしいアイディアに思えた。セブンイレブンはオフィシャルスポンサーでトイレを正式に提供してくれているのだ。

そして一つめのセブンイレブンに入った。お店のお兄さんが「ここが最後尾です」と誘導してくれた。「最後尾?」と思いながら並んだらひとつのトイレに10人以上並んでいた。仕方なく並ぶ。よくよく見るとランナー半分、他に応援の人、ボランティアの人。せっかく寒い中応援をしてくれている人に「先に使わせろ」なんてことは口が裂けても言えない。ひたすらストレッチをしながら待つ。寒くないのが救いだが、やはり汗をかいた柔流は冷たくなってくる。やっとトイレの順番が来て、ポーチからサロメチールを出して足に塗りつける。ラップとグロスの比較をしてみると結局ここでは24分を過ごすことになってしまった。

そしてまた「歩き組」の中に突入だ。そして最後のゴールまで、この「歩き組」の中でもがくことになってしまったのだ。

(続く)

 

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