« 村上春樹:走ることについて.. | トップページ | 晩秋の京都への旅 »

2007年12月11日 (火)

チェコフィルハーモニー管弦楽団

少し前になるが、チェコフィルを聴きに行くことが出来た。初めてデュプレのチェロ協奏曲の演奏をCDで聴いて鳥肌が立ったのはいつの事だったか。知り合いから借りたデュプレの演奏するチェロ協奏曲の全集アルバムは日本では八方探したもののなかなか見つからなかった。ようやく出張先のNYで見つけてガッツポーズをしたのを覚えている。僕を惹きつけたデュプレの演奏こそドボルザークのチェロ協奏曲だったので。
ドボルザークを最も忠実に再現できる管弦楽団はやはり彼の出身地に楽団に他ならないだろう、と早速チケットを手に入れた。様々なプログラムがあったが、もちろんチェロ協奏曲の入っている日を選んだのは言うまでもない。

チェロのソロは日本を代表する堤剛。いぶし銀のチェリストだ。意外だったのは全体におとなしめの演奏だったことだ。デュプレ以外の演奏を聴く機会がなかったから余計にそう感じたのかもしれない。なにしろデュプレの演奏は豪快にして奔放だ。弦の響きが体全体を揺さぶる。この日の演奏はむしろ美しく柔らかく。
後で感じたことだが、チェコフィルは堤さんの演奏音量に合わせて調整をしたのだと思う。

休憩を挟み、ドボルザークの交響曲第9番「新世界」だ。ドボルザークは先のチェロ協奏曲とこの新世界をアメリカ滞在期間のほぼ最後に書いたらしい。
まず感じたことは「色」だ。チェロ協奏曲では白黒だったのに、交響曲が始まるととたんに色が飛び散り発散した。ご存じだろうか。大相撲を見に行くと、アマチュアの幕下からプロの十両の土俵入り入ったとたんに会場は色づく。それまで黒いまわししか付けられない世界が、十両から様々な色のまわしに変わる。まるで白黒テレビが突然カラーテレビに変わったように。あの時の感動が沸き上がった。

以前ブラームスは北ドイツ放送交響楽団だ、と聴きに行った時に感じたものと全く同じ感慨も得た。それは演奏者皆が「ドボルザークは私たちの誇る作曲家。私たちが愛し大事にして、最高の演奏をしている誇りがある。」というものだ。この演奏が最高のドボルザークかどうかの判断は僕には出来ないけれど、演奏者のプライドは強く感じることが出来た。
演奏そのものは洗練された都会のものとは違い、ぼくとつな大地が広がっていた。

パンフレットに何度か出てくる言葉に「ボヘミア」というものがあった。これがボヘミアの大地なのだろう。地の底から沸き上がる精気。ゆらゆらと揺れながら成長する。我々を包み込むように伸びた枝葉は、冷たい風にさらされながら回転をし暗い影を落とす。
そんな演奏だった。

指揮者のマカルは長身であるにも関わらず軽やかに演奏者に向かって音を織り込んでいく。その姿はチェコフィルをバックに踊っているようであり、自分にとっての至福の時間を楽しんでいるように見えた。
やはりチェコに、プラハに行ってみたい。春江一也の「プラハの春」にあるラジオ番組「ミレナとワイン」で解放派の女性が音楽を聴きながらワインを、というメッセージで放送をした話。実際に民衆を元気づけた事実を元に書かれたものらしい。音楽は人々の心に響き勇気をもたらす。そんな時代をくぐり抜けたプラハは未だ情緒を残した古都だろうか。

|

« 村上春樹:走ることについて.. | トップページ | 晩秋の京都への旅 »

クラッシック音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 村上春樹:走ることについて.. | トップページ | 晩秋の京都への旅 »