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2007年4月24日 (火)

ムラビンスキーのチャイコフスキー

僕の行っている理髪店の店主は大のクラッシックファン。今は街の一角に店をかまえているのですが、以前はあるホテルで理髪店をまかされていたのです。それまで趣味といえば川での釣りしかなかったその店主(Kさん)でした。しかしそこにはそれなりの名士のお客さんがいらっしゃっていて、あるお客さんのご招待で最前列で観劇をしたオペラにはまってしまったのでした。それまでは理髪の間、釣りの話やお酒の話で盛り上がっていたKさんと僕でしたが、ある時からクラッシックの話が多くなってきた。彼は独立して店を立ち上げたときに、そのお店の名前をあるオペラの題目にしてしまったのです。

新しいお店は一人にしては広くて落ち着く。そしてなによりすばらしいオーディオセットがおかれています。自宅は狭くて音楽が聴けないので、ここで仕事をしながら楽しむということらしい。ほぼすべてのオーディオセットは、常連のお客様から譲っていただいた物で、特にタンノイのスピーカーがいい味を出しています。

僕がiPodを購入してから、もっぱらKさんの膨大なクラッシックセレクションのCDをテーマ毎に借りるようになりました。主要交響曲、ピアノ、バイオリン、チェロ、室内楽、指揮者別ブラームスなどなど。そして今回貸してもらったのは「エフゲニー・ムラビンスキー指揮レニングラードフィル」のみ。10数枚のCDコレクションです。

ショスタコービッチ、ストラビンスキー、チャイコフスキー、ブラームス、ワーグナー、ベートーベンR.シュトラウス、そして日本ライブの数枚。Kさんは無類のムラビンスキーおたくなんです...

今朝はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」をiPodで聴きながら通勤してきました。いつも電車の中ではクラッシックを聴きながらビジネス誌を読むのが日課なのですが、手にした雑誌をついに読むことはありませんでした。小一時間、音楽に魅了されずっと鳥肌が立っていたなんて自分でも驚きです。

レニングラードフィルの重厚な音はたとえようもない。特に管楽器の響きは金属をここまで使いこなすか、というほど「つぶれた重さ」に溢れています。ムラビンスキーはチャイコフスキーを文字通りそこに「甦らせた」に違いありません。

第1楽章のメリハリ。ゆっくりとした立ち上がりからいきなり目が覚めます。第3楽章のドラマはなんということでしょう。特に最後の3,4分は全身鳥肌がたったままでした。そのドラマから引き継がれた第4楽章の余韻。じっと耳を澄ますとホールにおける管楽器の余韻がどこで消え去るかを充分に計算しつくしてある。それが瞬間的に聞いている者の心をぐっと惹きつける。一つひとつの音にすべて理由があるとしか思えない。当たり前の事だけど、そこのことを彼は作曲者以上に理解して指揮をしているのだろう。

これまで聴いてきたチャイコフスキーはなんだったのか。これを聴いてしまったらもう他の演奏を聴いて感激できないではないか。どうしてくれるんだ。といった不満さえ起こさせくれます。

Wikipediaからの引用です.....

「ムラヴィンスキーはオーケストラのメンバーが完璧だと思っても満足せずに、家でスコア研究をし尽くし、メンバー全員にぎっしりと書き込みで埋まった楽譜を配布した。通しリハーサルの日は何度も何度も繰り返し細かい要求に答えなければならず体力的に厳しかった。忘れられない一日となった。最後の通しリハーサルのときはあまりにも完璧で信じられない演奏となり、そのクライマックスではまるでこの世のものではないような感覚に襲われた。しかし、最も信じ難いことは、ムラヴィンスキーがこの演奏の本番をキャンセルしてしまったことであった。その理由は『通しリハーサルのように本番はうまくいくはずがなく、あのような演奏は二度とできるはずがない』というものであった。」

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