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2007年1月11日 (木)

あるソムリエールの死

ずいぶんブログをご無沙汰してしまった。というのも私の一番身近にいたソムリエールの吉田さんが亡くなってしまい、少しの間ワインについて書く気力がなくなってしまったから。今日で49日となり忌明けです。吉田さんもこれで現世から天国に旅立たれるのですね。行ってらっしゃい...

吉田さんについて書きたいことは山ほどあるけど。とにかく顧客思いで一生懸命。サービスをしている時にはさりげなく一歩引いて柔らかい笑顔でテーブルをケアしてくれていた。しかし一歩プライベートになるとこれが強気の一途。ソムリエからシニアソムリエに最短でなってしまったのはその一面。ダイビングのCカードを取ったら毎週のように沖縄に飛んで、たった2ヶ月で100本潜ってしまった。僕も同じ時期につられてダイビングを始めたのに、未だに40本程度(5年前ですよ..)。

ある日慶良間の座間味島で仲間と潜っていると、翌日の午後吉田さんがやって来た。波が高く午前中はショップの人達が断念しているにもかかわらず「潜るよ」と言って無理矢理ボートを出させて一気に40メートル潜らされた。僕は初心者抜けきれずボードの船底に頭をぶつけながらなんとか付いていったけど、ダイコンを見てびっくりでした。なんたってオープンウォーターで40メートルってのは無茶だ。

元々の出会いはお互いが行きつけの日本酒のお店「吟の蔵」。もう10年以上前のこと。すでに午前2時頃だったと思う。銀座から勝ちどきに移動して「ひさご」というもんじゃ焼きで従業員達が食事(というか飲んだくれ)をしていた。僕は友人と上野で飲んでいて、金曜日だったからか飲み足らず親方に携帯電話をしてそこにタクシーで乗り付けた。見たことのない女性がいて、彼女は女将さんの知り合い(吉田さんは女将を「お姉ちゃん」と呼んでいた)で銀座でエイシャムという店のマネージャーをやっている酔っぱらいだった(もちろん僕も酔っぱらい)。

吉田さんはサービス中はテイスティングを除いて一切アルコールを口にしない。一杯ど~ゾ、と進めても「従業員にあげて」と言ってみんなに勉強させていた。でも疲れるのか、店を閉めるとほぼ必ず飲みに出た。どうも僕が帰った後に吟の蔵に来ていたらしい。そういう意味では常連同士、すぐに仲良くなった。いつの間にか吟の蔵の常連達に仲間入りをして、常連達は疲れた吉田さんがお店に来るのを待って、彼女と一言二言会話をしてから帰るようになった。

たまに吟の蔵の親方や女将と一緒に、店を閉めてから近くのイタリアンでワインを飲むようになった。吉田さんは大食いだ。深夜1時からでもパスタの大盛りを2皿ペロリと平らげる。当時そこでアルバイトをしていた沖縄出身の若者が作るスパゲッティーがなんとも美味しかった。

吉田さんのワインの先生は新宿御苑にある「タベルナ・ロッサーナ」の立石さん。ある夜、僕は部下と二人で吟の蔵にいた。そろそろ帰ろうという時間帯に吉田さんが来て、「新宿行こう」と言い出したのだ。そしてタクシーでロッサーナへ。当時のロッサーナは午前2時頃まで営業をしていた。そこでチーズとイタリアワインを飲むのだ。ある時期に吉田さんは立石さんの指導の下、ソムリエ資格を目指して猛勉強を始めた。そんなことはお構いなしに、当時新宿の客先で仕事をしてた僕はロッサーナにも通うことになった。店を借り切ってパーティーをやったこともあった。そんな時にはエイシャムを抜け出して銀座から吉田さんがサービスを手伝いにやって来たりしていた。

吉田さんの死を一番受け入れがたい人の一人は立石さんだ。昨年はロッサーナがイタリアンおせちを始めた。大晦日の午後に僕は車でそれを受け取りに行ったのだ。立石さんは暖房の効いていないお店でスパークリングワインを飲んでお客さんが受け取りに来るのを待っていた。立石さんは「去年の今頃はひろみ(吉田さんの名前)がその席で飲んでたんだよね。」と寂しそうに言った。僕は飲みたくなったけど車なので飲めなかった。僕たちはほんのつかの間、そこに吉田さんがいるのを感じながら少しだけ会話をした。立石さんは吉田さんのお通夜の前に行って、彼女の口にワインを飲ませてあげた、と。

吟の蔵の親方もお通夜の前に吉田さんを起こそうとしてほっぺたを何回も張った、と言っていた。でも起きなかった。亡くなった、と聞いた日から3日間、家に帰らずにお店に泊まり込んで吉田さんが来るのを待っていた。僕たちは何度か吟の蔵で深夜にお酒を飲みに来る見えない人達を感じたことがある。それは怖くも何ともなく、ただエレベーターが開いて誰も降りず、酒を入れてある冷蔵庫で瓶のふれあう音がするだけ。楽しく酒を飲んでいると、一緒に飲みたくなるみたいだ。だから親方は飲みに来た常連を帰さずに朝まで楽しく飲んで待った。きっと吉田さんは来ていたに違いない。

吟の蔵の女将さんは沖縄に行っていた。文字通り飛んで帰ってきた。僕も一緒に吉田さんに対面した。頬紅で顔は朱く、ぐっすりと寝ているとしか思えなかった。女将さんはただ泣いて「朝まで一緒にいてあげる」とつぶやいた。「私が生きていてあんたが先に行くなんて逆じゃないか」と言った。女将さんが飲食ビジネスから卒業し、今春から仏門に入ることを決意していた矢先の事だった。きっと毎日供養をし続けてくれる。

僕がワインを飲み始めたのは吉田さん、小林さん(女将:実は利酒師&シニアソムリエ)、立石さんの教えがあってのことだ。出張でワインを飲んだり、買ってきたりするとまずエイシャムで吉田さんに報告をした。初めてソノマに行く時には吉田さんに「買ってくるべきワインのリスト」を徹夜で作ってもらったりした。彼女は「お宝ピノ」とか注釈をつけて20本ほどリストアップをしてくれていた。ソノマのワインショップではもうそのままリストを見せて、「このうちあるの全部買うから」と言って1ダース箱に詰めてもらった。そして成田でエイシャムに送った。3年前のことだけどまだ飲んでいないワインがある。

エイシャムでは会計が面倒くさい、と僕はあらかじめ幾ばくかのお金を渡していた。それを使い切ると「なくなったよ」と教えてくれた。6年ほど前、日中に吉田さんから電話がかかってきた。「今ワインの試飲会に来ているけど、イタリアワインのすごい掘り出し物があって、もしよかったら残っているお金で買っておくよ」と言って木箱に入った入手困難なワインを手に入れてきた。昨年の初頭に「これ、そろ飲み頃だから開けるタイミングを教えるね」と言っていた。吉田さん、それいつ開けたらいいの?

僕はあれからあまりワインを飲んでいない。年明けから全く。

正月はイタリアンおせちでナパのカベルネを飲もうと思って実家に準備していたけど、元旦から発熱をしてしまい、全然飲めなかった。主治医から「肝臓が相当参っているのでアルコールは減らすように」何度も言われているけど、ワインを飲むたびに吉田さんの代わりに飲んでいるといいわけをするでしょう。天国の吉田さんにも読んでもらえるようにブログにも書きますね。エイシャムのSさん、元気を出しましょう。

Eishamu101

移転前のエイシャムは西五番街の、今は取り壊されてしまった小さなビルの地下にありました。そこで移転のためもうお店を閉める、という日の前の週に撮った写真。

吉田さんの死をきっかけに、という訳ではありませんが、ちょっと心境の変化がありました。一つは「先延ばししない」ことです。もちろん時期は大事ですし周囲の環境も無視できません。自分にとって重要な家族や仕事が最優先なのは変わらない。でもあと3年したら、とか退職したら、とか自分のやりたいことを先延ばしにするのは止めます。

もう一つは自分をもっと出そうかと。ブログなんかは自分の生活とはまったく異なった世界を作ってきたのですが、自分のブログはこれ一つだし、自分の生活や思想を完全にリンクした自分のブログにしようと思います。アルコールは控えるように、との先生の指示もあるし、決してワインを飲む人だけのブログ、というのではなく、私個人のブログとして音楽や読んだ本や仕事のことや感じたことをなんでも表現していこうかなと。

今年もよろしくお願いします。

ブーレ

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コメント

故人のご冥福をお祈りいたします。

最近Blogが更新されないので、少し心配していました。
お忙しいのかな?体調が悪くなければいいけど…と思っていたところです。

エイシャムはブーレさんと一度伺ったことがありましたね。
山ほどのワインを預けてる、とおっしゃっていたことを思い出します。
とても残念です。

大切な方が亡くなるというのは、本当につらいものです。
日常の中に、当たり前に存在していた人が消えてしまう。
どこか遠くにいて、ただしばらく会えないだけなんじゃないか?って思ったり。

きっとこの先も、お酒を飲むたびに吉田さんを思い出して、すこし寂し気持ちになるでしょうけど、故人と一緒に過ごした時間の素晴らしさも同時に思い出させてくれるのではないかと思います。

お体に気をつけて下さい。本年もブーレさんにとって充実した、よい年でありますように。

投稿: まりぼん | 2007年1月12日 (金) 22:42

NYでもワインを楽しみました。
吉田さんのおかげでどうワインを楽しむか、が少し分かったのがありがたい。
まりぼんさんも海外で気をつけてくださいね。
今年は試練の年?でしょうか。
がんばって。

投稿: ブーレ | 2007年1月21日 (日) 11:22

お名前も存じ上げませんでした。吉田ひろみさん。
なくなっていたのですね。残念です。

私は銀座に移ってからは数回しか行っていないんです。
虎ノ門にあった頃は昼食の半分はエイシャムでした。
二日酔いの日は徒歩1分砂場で胡麻だれ、スッキリの日は
徒歩3分エイシャムでダールかサグかチキンかという贅沢な
昼食でした。育ちが悪くて食事は本を読みながらです。
蕎麦とカレーは片手で頂けますしね。夜は2週に一度ぐらい。
友人や職場の仲間とチーズシャスリックやティッカ、チーズナンを
あてにカリフォルニアのジンファンデルでした。

ある日、明らかに味が落ちていたのでそのことを彼女に指摘すると
「申し訳ありません。シェフが変わってまだ味が安定しません」
と、こちらを直視して正直におっしゃいました。これ、なかなか
言えないですよ。負けず嫌いな感じの女性でしたので、こちらが
びっくりしました。彼女にとってはきっと「味が落ちたことを
認めないことこそが負け」だったのでしょう。格好良かった。

吉田さんについて書きのこしてくださりありがとうございます。
今夜の一杯目は吉田さんを、彼女の強い正直さを思い出しつつ
飲みます。

投稿: | 2020年7月 9日 (木) 00:37

コメントありがとうございます。
吉田さんのことを思い出すと胸がチクリと痛みます。今でもワインを楽しめるのは彼女のおかでだと思います。
今でも(私が)わがまま言いながら調理してもらったエイシャムのインド料理は自分の中で最高です。

投稿: ブーレ | 2020年7月 9日 (木) 09:48

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